サイパンの歴史を探ります。

PMB658, BOX10000, SAIPAN USA




波乱に満ちたサイパンの歴史

統治の歴史

スペイン統治時代

マゼランが北マリアナを発見して以来、事実上スペインが統治をしました。
とはいえ、スペインが勝手に領地宣言をしたわけであり、実質的にはサイパン、グアムなどマリアナ列島はスペインに侵略されて植民地にされました。

ドイツ統治時代

1800年代も終わろうとしていた年、北マリアナの島々はグアムを省いてスペインからドイツに売却されました。

日本統治時代

1900年代に入ると第一次世界大戦が終結するほんの短い期間ですが日本はアメリカ合衆国、大英帝国、フランスと同盟を結び、太平洋統治機関としての称号を得ました。
第一次世界大戦終結と共に国際連盟の元でマリアナ諸島は日本の委任統治領となりました。
事実上マリアナ諸島が日本に併合された後、1935年に日本は国際連盟を脱退しました。
当時の産業は製糖と漁業でした。人口はサイパン島で約3000人だったのが、日本からの入植もすすみ約24000人にも増えました。第二次世界大戦の暗雲が立ち込め始めた頃、日本軍人だ けで約30000人いたと言われています。

アメリカ 現在

1944年6月15日にアメリカの猛攻撃をうけ、ビーチの砂浜や山岳では歴史に残る激しい戦いが繰り広げられました。この攻撃を受け、30000人いた日本兵は1000人だけが生き残ったと言われています。非戦闘員10000人もほぼ全滅でした。
7月にはアメリカが周辺諸島の支配権を握り、翌年にはテニアンから広島へ向けて原爆を積んだB-29「エノラ・ゲイ」が飛び立ちました。
日本の敗北によりサイパンはアメリカの信託統治領となりました。1986年にサイパンを含む北マリアナ諸島は、アメリカの自治領となり、現在に至っています。

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北マリアナ諸島の中のサイパンの波乱に満ちた歴史を紹介します