サイパンの歴史を探ります。

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マリアナ由来の名所

マリアナに因んだ名称

マリアナ海溝

マリアナ海溝は2010年現在、世界で最も深い海溝である。
北西太平洋でマリアナ諸島Saipanの東に位置する。太平洋プレートはこのマリアナ海溝においてフィリピン海プレートの下にもぐりこんでいる。
かつてマリアナ海溝の最深部の深さはソビエト連邦の「ヴィチャージ号」が計測した11,034mであるとされていたが、現在ではこの記録の正確性に疑いがもたれており、最新の計測では海溝の最深部は水面下10,911mであるとされている。これは海面を基準にエベレストをひっくり返しても山頂が底につかないほどの深さである。マリアナ海溝の最深部は地球の中心からは6,366.4kmにあたる。

マリアナ沖開戦

マリアナ沖海戦は、第二次世界大戦中の1944年6月19日から6月20日にかけてマリアナ諸島沖とパラオ諸島沖で行われたアメリカ海軍空母機動部隊と日本海軍空母機動部隊の海戦。

日本海軍がアメリカ軍との決戦を意図したものであり、両軍の空母同士の航空決戦となった。この海戦で、日本機動部隊の母艦航空隊は強力な米機動部隊の前に“マリアナの七面鳥撃ち”と揶揄される程の一方的な敗北を喫し壊滅、同時に空母三隻を撃沈された。
参加した艦船の大半を喪失した事により、日本海軍は”組織的な作戦能力を完全に失った。” この海戦後、マリアナ諸島の大半はアメリカ軍が占領することとなり、西部太平洋の制海権と制空権は完全に米国の手に陥ちた。
なお、『七面鳥撃ち』とは射撃競技の一種、というよりお祭りの射的のことである。



マリアナ海域漁船集団遭難事件

通称「マリアナ海難」 マリアナ海域漁船集団遭難事故は、1965年10月7日に発生した台風による海難事故である。この事故では209人の犠牲者(死者1人、行方不明208人)が出ており、第2次世界大戦後の日本における漁船の遭難事故としては、1954年5月のメイストームによる北海道近海でのサケ・マス漁船集団遭難に次いで大きなものとなった。



伊豆・小笠原・マリアナ島弧

伊豆・小笠原・マリアナ島弧はフィリピン海と北太平洋の境界をなす島弧を指す。伊豆半島、伊豆大島からヤップ島まで2800km以上に及ぶ。
太平洋プレートがフィリピン海プレートの下へ潜る沈み込み帯に伴うもので、このような島弧としては世界的にも大規模である。火山活動も活発で火山島が多い。島としては次の諸島を含む。
伊豆諸島
小笠原諸島(南鳥島、沖ノ鳥島を除く)
マリアナ諸島
ヤップ島

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北マリアナ諸島の中のサイパンの波乱に満ちた歴史を紹介します