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古代チャモロ人がこの島々に移住したのは紀元前16世紀頃と言われている。
アジア大陸、島嶼経由でカヌーなどで渡ったと想像されている。 |
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9世紀頃には、テニアン島を中心として『タガ王朝』が誕生された。
この王朝について詳細は分かってはいないが、主要な島には「ラッテストーン」と呼ばれる遺跡群が残されている。 |
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16世紀頃、マリアナ南部にあるカロリン諸島に住むカロリニアンと交易が始まった。民族の移動もあり一部移住のあった。 |
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1521年 ポルトガル人フェルディナンド・マゼランが現在のグアム島に到着した。
長い航海の末であったので食料に窮して村を襲い住民を殺害して食料を強奪したが、島民たちにより船から奪い返された。それを怒ったマゼランは焼き討ちをかけて、この島をラドロネス諸島(泥棒諸島)と名付けた。 |
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マゼランのグアム発見後、1565年スペインはマリアナ諸島の領有を西欧諸国に布告した。それ以降3世紀に渡りスペインの統治下になる。
その後、マリアナ諸島全島に対して、キリスト教の布教が始まる。しかし、島民は慣習に干渉する神父に反感を持った。1670年Saipan島で島民による伝道師殺害が起こり、この後のスペイン・チャモロ戦争にの発端となった。スペインは軍隊を派遣して島民を虐殺した。 |
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1898年アメリカとスペインの戦争がありスペインは敗北した。1899年売却によりスペイン領からドイツ領となるがドイツはこの地の開拓を放棄して流刑地として使用した。 |
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1914年7月、第一次世界大戦が勃発した。連合国側であった日本が赤道以北の南洋諸島全体を占領した。 |
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その後1920年には国際連盟から日本の委任統治領となり、同島には南洋庁サイパン支庁が置かれて内地から多くの日本人が渡り栄えた。1943年8月の時点での人口は日本人(台湾人、朝鮮人含む)29,348人、チャモロ人他3,937人とされている。 |
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第2次世界大戦中、1944年7月、連合軍はサイパン島の日本軍を攻撃して占領。
その後、連合国の一国であるアメリカ軍の軍政下に置かれた。 |
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1947年に国際連合の信託統治領「太平洋諸島信託統治領(施政権者:アメリカ合衆国)」となる。1981年1月9日、アメリカ合衆国内の自治領である「北マリアナ諸島」としてアメリカ合衆国内に留まったが、北マリアナ諸島以外は次々と分離独立した。 |
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1986年11月3日 アメリカとの独自の交渉によりコモンウェルス規約を締結、レーガン大統領が北マリアナ諸島をコモンウェルスと宣言し、今に至る |
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2009年11月、これまでアメリカ合衆国の自治統治領であったが、アメリカ合衆国の一部として制度が変更された。入国管理から始まり移管途中であるが、様々な問題が出ている。 |